釣りエッセイ2 河は眠らない

森川wrote, 釣りエッセイ

 河は眠らない
 生まれも育ちも釧路。生まれてから住み続けている中島町。名前の由来は湿原の中にある中島のような場所だったから。幼少の時、周りはまだ原野の様相を保っていた。
 すぐ近くの柳町通りの公園のある場所に運河があった。新と旧の釧路川を結ぶはずだったのだが時代の流れで目的を失い通水されぬまま頓挫した。結果堀割りとして水が淀み、底からメタンを発酵し誰しもが嫌うドブ川だった。
 大正からのこの地に住む祖父母は近くに清流が流れていたと言っていた。川のあったであろう場所を指差しながら「昔はね、水が綺麗でタニシがたくさん取れたからタニシ川と言ったんだ。泳げるくらい綺麗だった。」その指先を凝視するがそこにあるのは湿原を埋め立てた造成地だった。
 その夜夢をみた。小魚の群れる清流と淀んだドブ川の相反するものが結合した奇妙な光景。月夜の湿原の川で釣りをする。透き通った茶褐色の底から釣れるのは世にも奇妙な形をした深海魚。子供の頃の釣りのイメージは禍々しいものだった。

時を経て釣りをするようになり釧路川水系の事を色々調べた。家の裏を阿寒川が流れていた事を知る。祖父母の話は本当だった。うちのすぐ裏を阿寒川が流れていた。阿寒川が運ぶ砂が港を浅くするので山花付近で支流の大楽毛川へつなぎ釧路川との関係を絶たれた。柳町公園の付近の湿原を蛇行して流れる阿寒湖に端を発する清冽な流れは埋め立てられた。
この100年の間にこの地で移住政策により変わっていったを考えると無力感に苛まれる。歴史の目撃者にもなれない。今起きている事、起きてしまった事から感じるしかない。人はいなくなり自然はやがては原始に戻る。ここで開高健の名言が心をよぎる。

かくして、魚の命は終った。
釣り人もやがては死ぬ。
しかし、川は眠らない。
*地図は現在の釧路の地図に大正時代の始まりまで釧路川につながっていた阿寒川を載せてみました。

2016年4月

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